いろいろ詩のこと

為政者による空虚な発言はポエムではない

昨日行われた内閣総理大臣を勤める安倍晋三さんによる実際の経済政策を伴わない声明に対し、「ポエム」という言葉で批判する方々がいらっしゃいます。

私も安倍晋三さんや内閣の人々による無定見でCOVID-19対策と自らの利権を守るために税金を用いようとする与党の人々にいらだっています。そして、過去に「ポエム」と称された環境大臣を勤める小泉進次郎さんによるグレタ・トゥンベリさんの活動への揶揄・気候変動への言葉について腹立っています。

それでも、改めて皆さんに伝えたいのは、これらの政治屋たちの空虚な発言は「ポエム」ではないということ。
「ポエム」という名前でそれを呼ぶことをやめてほしいということです。

そして、空虚な発言を「ポエム」と名づけることで傷つく人がいること、「ポエム」という言葉に「空虚な発言」がつきまとうことで将来、発言を封じられる人が現れることを知ってほしいです。

私は「ポエム」という言葉が人の意見を揶揄するために使われる光景に対して、最低でも20年いらだち、自分を抑えてきました。
しかし、結局のところ、「ポエム」という言葉で人を揶揄するのは言葉で自分の世界を創造する行為すべてを揶揄することと同じだということに心が至りました。

私の出会ってきたポエムたち

私は7歳のときから30年間詩を書いてきました。
詩、短歌、俳句のイベントの参加者として、主催者として大小100以上のイベントで3000人以上の人が自分の言葉でポエムについて語っている人を目にしてきました。
私が生まれる前から詩を書いている人や、初めて詩を書く人とも出会いました。ワークショップでは4歳~80歳近くの人と一緒の場でワークショップをしてきました。

私が立ち会ってきた場所で、空虚な発言をした人と出会ったことはありませんでした。
愛やいらだちや焦りや笑いなど様々な感情がありました。
私には受け入れられない意見や、異なる価値観の対立がありました。。
でも、そこにいたすべての人たちは、その場にいて自分自身が創造する言葉と、その結果あらわれてくる自分自身に対し真摯にむきあっていたと信じています。
たとえ、それが自分自身を傷つけるものであったとしても。

COVID-19対策で私たちの出会ってきた政治屋の発言たち

これに対し、今回のCOVID-19に対する日本の政治屋の空虚な発言はどうでしょうか。

政権与党として自らできる権限と方法があるにも関わらず、その手段を用いることがありません。
昨年引き上げた消費税ですら消費税法にて「全て社会保障財源に充てる」とされているにもかかわらず、現在の状況は憲法第25条によって保障されている生存権が侵されています。
それにも関わらず自粛を求めることで社会に対し多大な負担を強いています。

このような自らやるべきことを行わず、利権を追いかける自らの正体を見せず、自らの懐を傷めない。
そのような政治屋の発言は絶対に「ポエム」ではありません。

そして、彼らの発言を「ポエム」ということで、これから先、私たちが創造する言葉に空虚なイメージがまとうのはまっぴらです。
これまで、そしてこれからも私たちが書き、そして私たちが紹介したい詩歌は、ポエムは、私たちができるもっとも大切な営為であり、自己開示であり、自らの懐を傷める行為です。

ほかの誰かによって揶揄されるべき筋合いはありません。
そして、そのために「ポエム」という言葉を使われることはお断りです。
「ポエム」という言葉が大切に扱われるように努めたいと思っています。

さて、幸い、先人は政治屋の空虚な発言に対して投げかけるべき言葉をいくつも作ってきました。
私がその中で好きなのは「義を見てせざるは勇無きなり」という論語の言葉です。
やるべきことを知っていて、手段もあることを知っているにもかかわらず自らの利権に居座る人は「勇気のない人」です。
「勇気がない人」という言葉のほうがその政治屋の本質をついていますがいかがでしょうか。

心が荒れるままに書いたので、乱筆、乱文となっていると思います
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

最後に、この記事は大島健夫さんのtweetに影響と、勇気を頂いて書きました。怒りを持つことの大切さや、なにがたいせつなことかをたくさん教えていただきました。ありがとうございました。

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