”戦場のうえのカモメたち” ボリス・グメニュク
戦場のうえのカモメたち
彼らは不吉だ
カラスならわかる
彼らはずっと戦士の肉を食ってきた
カラスは食べている肉が
僕らの英雄のものか敵のものかを気にしない
カラスのことを考える僕が傷ついたとしても
カラスをキレるに値するはわからない
鳩のこともわかる
彼らは人間のゴミを
くまなく漁るのに慣れている
たとえ銃弾が貫通した髑髏から引き抜いた
髪を使って
巣の裏地にしようとしたとしても
鳩のことはわかる
スズメのこともわかる
彼らは楽しそうに鳴きながら
食べようとするだけだ
スズメは死者の
ポケットとバックパックをついばみ
目を輝かすのはたまたま
死者には必要のない
パンやクッキーや砂糖やコーヒーのかけらや
べつの何かをトロフィーのようにものにしたときだ。
スズメのことはわかる
でもカモメはあさましい
カモメたちは死者の地の上で弧を描く
夜明けと日暮れにピンク色で—
僕は光のせいで彼らが
ピンクに見えたのだと言い聞かせる
フラミンゴは食べたエビのせいで
ピンクにかわるが
カモメが食べた死者の肉のせいで
ピンクにかわるはずがない
そんなふうになるなら
戦争が年をまたいで続いているはず
カモメたちが戦場の上をめぐる
誰も耕し方を覚えていない場所
誰も家の建て方を覚えていない場所
誰も種のまき方を覚えていない場所
誰も子どもたちに生を与えるすべを覚えていない場所で
カモメたちは弧を描き
飛びこみ
食う物をつかみ
僕らの検問の先にある海へ飛びさる
カモメたちは小競り合いをおこし
ときには食べるはずだった
人間の肉や骨を僕らの足元に落とす
おぞましいことにその肉が友達のものか敵のものか
僕らにはうかがいしれない
目にすることが浮世離れしているのだ
指か
耳か
かつて君だったものが空から
落ちてくる
ときどき僕は考える
君がすべてのかけらをあつめられたら
君は一人の人間になるのだろうかと
友が敵か—
私達が生へと引き戻すために誰かを見つけられていたなら
ピンクのカモメを
もう見ないですめばいいと私は思う
空から降ってくる
人間の肉のかけらと対になった
この戦争で一番の恐怖で
君たちにはなすすべがない
たった一本のちぎれた指のために
墓穴を一つ掘れはしないのだから
(原文はウクライナ語 オクサーナ・ルシュチェスカ(Oksana Lushchevska) マイケル・M・ネイデン(Michael M. Naydan
)の英訳より重訳 山口)
作者について
ボリス・グメニュク
1965〜
ウクライナ西部テルノーピリ州出身
ジャーナリスト、詩人
2013〜2014年にかけて親ロシア派政権を打倒したマイダン革命で活躍し、2014年以降に継続したウクライナ東部での軍事衝突に従軍。
2022年のロシアの侵攻に際しても戦線に加わっている。
出典
2014年から続くロシア共和国のプーチン政権による、ウクライナ領土への蚕食をめぐりウクライナに住む詩人が書いた詩を編集し、アメリカ合衆国で出版されたアンソロジー「Words for War: New Poems from Ukraine 」(Oksana Maksymchuk and Max Rosochinsky編集 Boston: Academic Studies Press, 2017、以下 Words for War)より。
この詩集は、1945年から80年代にかけてウクライナで生まれた16人の詩人の作品と、作品を読むための用語集で編まれています。オデッサ出身のアメリカ合衆国の詩人、イリヤ・カミンスキーさんがエッセイを寄せています。
オリジナルの詩はウクライナ語もしくはロシア語で書かれたものです。
Words for Warに掲載された詩や作者の紹介は、Academic Studies Pressのサイトにて読むことが可能です。
また、翻訳に際してはAcademic Studies Pressに確認し、CC-BY-NCライセンス(表示-非営利)にて行われている英訳から実施しています。私の訳も同様にCC-BY-NCライセンスにて取り扱い願います。
詩について
戦場で書きつけられた日記のような詩。グメニュクさんの詩を読んで思い起こしたのは、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』で食べるために鹿を撃った狙撃手の女性が撃ったあとで泣き出してしまう場面でした。
戦争とかかわりない動物が戦場に関わった瞬間、敵と勇敢に戦っていた人が日常にたちもどってしまう。私はその場面を読みながら、戦場にでるひとが特別でない、私達と同じ穏やかな日々を過ごしている人であること。徴兵制と戦争がむりやりに私たちを遠隔殺戮兵器に作り変えることを知りました。
グメニュクさんの詩は、戦場がそこに生きる生態系の姿を変えてしまったことを物語っています。人の肉を食べて生きるカモメになにかの罪がないのは多分多くの人が同意できるでしょう。でも、人の肉を食べてピンクになったカモメをみたあとで、三好達治の詩を読むといかがでしょう。
ついに自由は彼らのものだ
三好達治「鷗」
彼ら空で恋をして
雲を彼らの伏床(ふしど)とする
ついに自由は彼らのものだ
私は三好達治の詩が、もっというと人間が動物に対して想像するさまざまなことが白々しく感じます。人間はカモメによせる幻想、夢すらも自分の蛮行で食いつぶしてしまえるのです。
グメニュクさんは「もう見ないですめばいい」と願います。そしてそれは、いま、戦場にむかう戦争を知る人の多くの願いだと、私は信じています。