あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の中断は、中断そのもの以上に、未来への不安をかき立てられる出来事でした。
たった一週間足らずのうちに未来への期待値は坂をゴロゴロと転がり落ちました。
作品を見ないまま、作品について言及し、その政治性のみを切り取って語ろうとした人の多さにも驚かされました。
そして、私自身も政治性のみを切り取って語っていたことを指摘され、改めて芸術との関係性を考えさせられました。
また、名古屋市長を勤める河村たかしさんによる展示の中止要請や謝罪を求めるコメントには呆れました。
官房長官を勤める菅義偉さんによる「補助金交付を慎重に判断する」と言う発言は絶望的でした。
この発言ですら慎重に言葉を選ばれているのですが、忖度を呼び起こす発言であると信じています。
展覧会の中止に至る脅迫は、戦前に天皇制の研究者を脅迫した人の行いと重なって見えました。
そして、展示の是非について地方の首長が発言されているのを見ながら、心強く思うと同時に、深まっていく分断に傷つくばかりでした。
私は、「表現の不自由展・その後」について起きた出来事はこれから増えると思っています。そして、「補助金交付を慎重に判断」していくことは、最後には立法にまで繋がりかねないと思っています。
他の先進国の例があるからです。
イスラエルでは国家への忠誠をアーティストへ求める法律が昨年、国会で審議され廃案になっています。イスラエルの右派は、この法律を作りたい切実な理由がありました。
イスラエルは建国にあたり、パレスチナ人が住む531の村落を破壊し、今現在まで続く難民を作り出しています。
そしてこの破壊行為や、現代も続く占領への批判を行う芸術に対しては補助金の交付取り消しを行なってきました。https://www.timesofisrael.com/tel-aviv-cinema-faces-funding-cut-over-nakba-film-fest/
イスラエルはパレスチナ人に対しては積極的に言論弾圧を行なっており、つい最近も占領への批判をfacebookで書き込んだ詩人をテロへのほう助の疑いで逮捕しています。
そして昨年、国会で審議されていた法律は、ユダヤ人に対しても表現の自由を制限するものでした。
この法律(Loyalty in Culture Bill)は昨年は廃案になったのですが、「補助金交付を慎重に判断する」ことは継続しており、その結果としてアラビア語の演劇を上演してきたアル=ミーダーン劇場への補助金は2015年以来の停止が続いています。https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-israeli-court-rejects-petition-to-restore-gov-t-funds-to-controversial-arab-theatere-1.7565295
イスラエルの現状があるので、私は「表現の不自由展・その後」の中断がただ一つの中止にならないと思っています。そして、ただ一つの中止になるように、努力する必要があると感じています。
表現の自由を制限することは、人と人の意見を分断することに繋がると信じるからです。
様々なことを分け隔てなく語り合うことで、一致する場所を見つけ、そして、一致できないことに対しても立場を受け入れられる自分を見つけるのが表現の行うべきことだと信じています。
私は『表現の不自由展・その後』の話が出たとき、偶然、イスラエルの法案について、ユダヤ人とパレスチナ人のアーティストが会話している記事を読んでいました。https://mondoweiss.net/2018/11/conversation-intellectual-diversity/
ユダヤ人のアーティストは、女優・劇作家として知られ、パレスチナとイスラエルの関係を描いた劇を日本でも公演したイナト・ヴァイツマンさん。https://www.festival-tokyo.jp/17/ft_focus/inato_yearzero/
パレスチナ人のアーティストは、facebookとYouTubeで占領を批判する詩を投稿したことで逮捕・軟禁され、今年、釈放されたダリーン・タトゥアさんです。
ヴァイツマンさんは、タトゥアさんの経験をもとに、戯曲『I, Dareen Tatour』を書いています。また、イスラエルがパレスチナに行い隠蔽した犯罪行為を顕にする戯曲を書いたことで、出展する予定の演劇祭から断られたこともあります。行政が補助金の差し止めを演劇祭に対しちらつかせたためです。
二人の想いは非常に学ぶところが大きいのですが、そのまま日本に当てはまる発言をそれぞれから一つずつ引用します。
タトゥアさんは、芸術の本当の意味と、それに対する右派の偏った視点を痛烈に批判する言葉を。
「私達が産み出した芸術が創りだしたのは平和を臨み求めるそれぞれの人々にとっての一つの国でした。ミリ・レゲヴ(イスラエルの文化・スポーツ大臣)と右翼たちの政策は、私達、右翼に言わせれば煽動でありアウトローの芸術が到達した芸術の本来のメッセージからかけはなれたものです。
右翼たちは言葉を恐れています。絵画を恐れています。舞台を恐れています。パレスチナ人の権利に実体を与えたりパレスチナ人の文化を表現しうるすべての芸術的文学的な表現を恐れています。
右翼たちが目にする文化をユダヤ化し、パレスチナ人が語ることを隠蔽する理由は、彼らが芸術の本質を見落としているからであり、異なる文化が正しい重要さで理解されるための対話につながる安全な道筋を作りだすために文化の多様性を受け入れることだということを見落としているからであり、愛と平和を見落としているからです。」
そして、ヴァイツマンさんからは、芸術の役割を伝える言葉を。
「芸術の役割は疑問を抱かせることであり、新たな意見を聞いたり、不愉快で隠されたテーマを発表できるよう公共の場に挑戦したり励ますこと
私は、未来を楽観的に見ることはできません。それでも、私自身、そして、私を応援してくださる方が、自由に表現できる場を守るために活動したいと思っています